2月10日 校長先生の話 [校長先生]
雪の中での学校公開、悪天候にもかかわらずご来校いただきましてありがとうございました。また、今週の土曜日にはPTA主催の「むかし遊び」があります。ご来校をお待ちしています。
2月10日 朝会の話「不撓不屈」(ふとうふくつ)
先週の月曜日は節分、4日は立春、まだまだ寒い日が続きますが、暦の上では春です。
春はそこまで来ています。校庭の桜の木のつぼみも膨らんでいます。
土曜日はたくさん雪が降りました。さて、北側にもかかわらず、中央玄関に雪がないのはなぜだか知っていますか?みなさんが安全に登校できるように、主事さん、警備員さん、地域の皆さんが、雪かきをしてくれたお陰です。感謝したいですね。
さて、冬季オリンピックが始まりました。日本選手団の活躍が楽しみですね。
日本の選手団の主将はスキージャンプの葛西紀明という選手です。笠井選手はスキージャンプで7度目の出場です。19歳の時に初めてオリンピックに出場し現在は41歳、なんと20年以上もトップクラスで活躍していたことになります。
日本選手団の主将に選ばれた笠井選手は、決意表明の場で「不撓不屈の精神でトレーニングに取り組んできた」という事を話しました。「不撓不屈」は強い意志を持って、どんな苦労や苦難にもくじけない事、絶対にあきらめないことです。
葛西選手は20年以上毎日ランニングを欠かさず、筋力トレーニングをし、体重が増えないように毎日10回も体重計にのり、増えたらご飯を食べない、このようにして一日一日を積み重ねてきたという事です。だから腹筋の肉をつまんだだけで自分の体重がわかるそうです。
また、フィギュアスケートの浅田真央選手。浅田選手もまた不撓不屈の精神で頑張ってきた選手です。スケートを始めたのが5歳の時。小学2年生の時、長野オリンピックで15歳のアメリカの選手が金メダルを取った演技の感動。同じく15歳の時のトリノオリンピックでは、工作スケート大会で世界一位になったのですが、年齢制限に87日足らず出場できませんでした。
そして、4年後のバンクーバーでは銀メダルをとりました。その時、ライバル、キムヨナ選手に敗れました。インタビューを受けたとき、彼女は「悔しいです」と涙を流しながら答えていました。そして、金メダルを目標に4年後のソチを目指したわけです。しかし、このソチに至るまで、途中でお母さんを病気で亡くしたり、また得意のジャンプも跳べなくなったり、リンクにたてない日々もあったそうです。しかしながら、その悲しみやつらさを乗り越え、今回のオリンピックに出場できました。浅田選手は、一週間40時間、毎日6時間以上練習を続けたそうです。「不撓不屈」の精神、絶対あきらめない心、みなさんにも、あきらめないでかんばれる事がみつかるといいと思います。
2月10日 朝会の話「不撓不屈」(ふとうふくつ)
先週の月曜日は節分、4日は立春、まだまだ寒い日が続きますが、暦の上では春です。
春はそこまで来ています。校庭の桜の木のつぼみも膨らんでいます。
土曜日はたくさん雪が降りました。さて、北側にもかかわらず、中央玄関に雪がないのはなぜだか知っていますか?みなさんが安全に登校できるように、主事さん、警備員さん、地域の皆さんが、雪かきをしてくれたお陰です。感謝したいですね。
さて、冬季オリンピックが始まりました。日本選手団の活躍が楽しみですね。
日本の選手団の主将はスキージャンプの葛西紀明という選手です。笠井選手はスキージャンプで7度目の出場です。19歳の時に初めてオリンピックに出場し現在は41歳、なんと20年以上もトップクラスで活躍していたことになります。
日本選手団の主将に選ばれた笠井選手は、決意表明の場で「不撓不屈の精神でトレーニングに取り組んできた」という事を話しました。「不撓不屈」は強い意志を持って、どんな苦労や苦難にもくじけない事、絶対にあきらめないことです。
葛西選手は20年以上毎日ランニングを欠かさず、筋力トレーニングをし、体重が増えないように毎日10回も体重計にのり、増えたらご飯を食べない、このようにして一日一日を積み重ねてきたという事です。だから腹筋の肉をつまんだだけで自分の体重がわかるそうです。
また、フィギュアスケートの浅田真央選手。浅田選手もまた不撓不屈の精神で頑張ってきた選手です。スケートを始めたのが5歳の時。小学2年生の時、長野オリンピックで15歳のアメリカの選手が金メダルを取った演技の感動。同じく15歳の時のトリノオリンピックでは、工作スケート大会で世界一位になったのですが、年齢制限に87日足らず出場できませんでした。
そして、4年後のバンクーバーでは銀メダルをとりました。その時、ライバル、キムヨナ選手に敗れました。インタビューを受けたとき、彼女は「悔しいです」と涙を流しながら答えていました。そして、金メダルを目標に4年後のソチを目指したわけです。しかし、このソチに至るまで、途中でお母さんを病気で亡くしたり、また得意のジャンプも跳べなくなったり、リンクにたてない日々もあったそうです。しかしながら、その悲しみやつらさを乗り越え、今回のオリンピックに出場できました。浅田選手は、一週間40時間、毎日6時間以上練習を続けたそうです。「不撓不屈」の精神、絶対あきらめない心、みなさんにも、あきらめないでかんばれる事がみつかるといいと思います。
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